今号では本当のプロフェッショナルとは何か、その心構え等を始め他の皆様から多くを学ばせていただきましたが、「ありのままの私たち」に特に感銘いたしました。特別支援学校の児童大ちゃん・通常通りの学校教育を受けていないと思われる彼の方が生まれながらの感じる心を失わず宇宙とのつながりを感じており「僕の心はいつも宇宙とつながっているんや」という言葉や詩や文字に強くひきつけられました。
又、大脳がない女の子・聞こえないはず、見えないはず、わからないはずであるのに山元氏が真心こめて接していると涙を流し笑うようになったとの話は現代科学ではけっして説明できない事が起きている事は驚きであり同時に宇城先生が言われている細胞先にありきである事を教えていただきました。
「被災地の今」では遅々として進まぬ復興。しかし座して待つのではなく、学校給食の地産地消促進や復興のブロセスを示し日本全体のモデルを目指される事など自ら率先して行動しておられる臼井氏の正に修業をやっておられるのだと感銘いたしました。
「気づき気づかせる」では脳卒中で数年間右脳のみで生活を送ったテイラー博士の実体験から左脳と右脳の違い右脳こそ心につながるものである事を教えていただきました。
又、先号で紹介されたA氏の回復は宇城先生のご指導のもと細胞の命令により現代医療・科学ではけっして有り得ぬ程の回復が実際に起きており驚きでした。この事と「ありのままの私たち」での話は細胞先にありきの実例であり宇城先生のご指導を実感させていただいた春号でありました。
(Y.F 三重実践塾生 証券会社勤務)
今号は「プロフェッショナルを貫く」をテーマにされその意識の高さ、取り組む姿勢が桁違いであり、失敗したら死という覚悟を持った世界に圧倒されました。
世の中ハイテク時代になり、数値データだけを見て判断するなど本来の人間の持つ力、身体を使っての判断が低下していると痛感します。何も努力しないで、生きていける時代になり平和の中で危機感を感じなくなったのも事実です。この数十年で失われたものは大きく、何かを乗り越えようとする人間力が低下していることを教えてくれました。経験に勝るものはないと言いますが、経験を活かす工夫がなければ意味がないと思います。
プロフェショナルとして貫いた方々は皆共通していると思った事は、真剣に妥協なく取り組んだ結果、見えない力を感じその先は調和、感謝、絆と仕事以外の社会に対し貢献し牽引する力が溢れています。今出来ることを真剣に取り組み、自発的行動が未来に繋がることを示していただいたようです。
同じく復興に向け力強く活動されている臼井氏など震災を想像の絶する経験をされた方々が日本を変える原動となり、将来を担うものだと思いました。
(T.Y 三重実践塾生 土地家屋調査士)
元JAL機長の杉江弘氏と宇城先生との対談で、プロフェッショナルとは、徹底的に研究を行い、想定外のことでも切り抜ける技術と精神力を身に付けるものであると学びました。杉江弘氏は、世界で起きた事故の調査報告書を読み、徹底的に分析を重ねた結果、フライト中ある局面になるとこれは事故になりそうだと「ささやき」を感じ、危険を未然に回避して乗客の命を守ってこられました。
私も災害現場で危険回避出来るよう、常日頃から数多くの事例から学び、思考の訓練を繰り返していきたいです。
(K.S 三重実践塾生 消防士)
今回の杉江弘さんと宇城先生の対談では、パイロットという職業の一回のミスが何百名の命を奪ってしまう厳しさと、杉江さんの事故を繰り返すことのないように研究し、自分の頭に叩き込み、絶対にミスをしないという強い意志を感じました。
自分自身と比べると中途半端なところで、このぐらいでいいやという考えを持って仕事をしていることが恥ずかしくなりました。
また、航空事故の原因の85パーセントがヒューマンエラーということで、今技術は進歩し安全になっているはずなのに、それを過信した結果事故が起きているという矛盾に驚きました。
最先端の物を扱うというのは、それをちゃんとどういったものか把握し、しっかりとした人が使わないと、逆に危険な凶器になってしまったり、何も考えない無気力な人間になってしまう危険性を持っているなと感じました。
今自分に何が必要か、どうしなければないかということを改めて考え、もっとしっかりしないといけないと思いました。
(O.I 三重実践塾生 通信工事会社勤務)
杉江 弘氏と宇城塾長の対談を読んで感じた事は、想像力やメンタルの重要性です。
フライト時に多くの人の命を預かる、失敗が許されないジェット機のパイロットという厳しい職業経験は、他のあらゆる業務や、日常においても求められ、活かされる事だと思います。
しかし現代のハイテク化、デジタル化に反比例するかのように、人間が想像力を失い、マニュアル化に進む事で応用が利かなくなり、とっさの事に対応できなくなる事は、ハイテク化・デジタル化の進行や、想像力を養えない現代の教育環境などに問題があると思います。
『マニュアル外での事故に対して、切り抜ける技術と精神力を身に付けることが、本当のプロフェッショナル』との杉江氏の言葉は、まるで私に対して語ってもらってい
るようにも感じました。
私自身も、マニュアル外での出来事に対する対応に弱い部分があり、結局想像力の欠如、メンタルの脆さがあるのだと思います。最近の一番多い航空事故の原因は、ヒューマンエラーとも語られていましたが、私たちが働いている医療福祉の現場においてもその事は同様です。想定外の出来事が起こっても動揺しないメンタルの強さ、それを切り抜けられる力(想像力)を身に付ける事が非常に重要と感じました。
『最後の零戦パイロット』原田 要氏の記事では、いかに現在の日本が平和に慣れ切ってしまっているのか、またそれが当たり前となってしまっているが故に、苦労をする体験がなく、欲が出てしまいがちになるという事が書かれていましたが、結局この事も、杉江氏の記事で書かれていた、メンタルの脆さ、ヒューマンエラーに繋がるものだと感じました。
宇城塾長が常々おっしゃられる、日常生活のあらゆる出来事を修業ととらえて、自己に対して厳しく物事に当たらなければならないと感じました。
(T.T 三重実践塾生 ケアマネジャー)
杉江 弘氏と宇城憲治先生の対談を読ませていただいて、杉江氏はパイロットという職業であり多くの命を預かるため、毎回真剣に仕事をされていたのが良く伝わってまいりました。そして、過去の事故の経験を活かしたり、様々な想定をするなど物事を深く考えていらっしゃいます。一方、私の普段の仕事に対する姿勢はいいかげんなものであると反省しました。
ハイテクな機器は仕事を行う上ではどうしても必要なものではありますが、それに頼り切ってしまうことは人間力を低下させていると教わりました。自分自身もパソコンや携帯電話などに頼りすぎて横着になっているなと気づかせていただきました。誤作動するかもしれない、壊れるかもしれないと想定して使用しないといけないと感じました。
原田 要氏の記事を読ませていただいて、改めて戦争の悲惨さを感じることができました。最後のもうだめだという時には誰もが「お母さん」を思うそうですが、その言葉がとても心に残りました。
今回の「道」での被災地に関するさまざまな記事を読ませていただいて、現在も被害は続いているにもかかわらず3年前の東日本大震災が起こって間もない頃の「変わろう」という気持ちが日本から薄れていることを改めて教えていただきました。また、自分自身もそうであると感じました。
(A.M 三重実践塾生 パソコン教室勤務)
命をかけた平和を守り抜くために
最後の零戦パイロット 原田 要氏
「命をかけた平和を守り抜くために」を読ませて頂き人の生き方を教えて頂きました。
パイロット教育の期間、教官から叱られ続け嫌気がさして操縦かんの手を緩めたら「その調子」と言われた。力を入れると飛行機は固くなる。人間の身体も同じです。
飛行機に乗ったら素直に先輩の言ったことを実行する、自己流を入れたらダメと言われました。師の教えを守るということです。
又、「軍隊についても、国と国とが軍隊が強くなれば戦争が起こりやすい。日本が非武装で戦争を放棄しいい国になっているのでこれを崩してはならない」と言われました。
どうぞという心構えで居れば相手との争いを防ぐことが出来、それを原田要氏は体感的に知ってみえるのだと思いました。
戦争を生き抜いた中で何が危ないか判ってみえて、日本が今危ない状態であることが見えている。原子力発電も同じように危機感を持ってみえる事が良く判りました。
(H.K三重実践塾生 電装会社OB)
最後の零戦パイロット 原田要氏の記事を読ませていただきました。戦争には色々な原因があると思いますが、最終的には人間の驕り(欲)が原因となっていると感じました。
記事の中に『普段の行ないを100パーセント一生懸命やったという満足感を持って生活していれば。死ぬ時には穏やかに諦めがつく』と書かれていました。このお言葉のように、人間がこの世の中で生かされていることに気付き、謙虚に生きていくことが大事と感じました。
自分の心の道しるべをいただいた感じがし、エネルギーが湧いてきました。
(T.M 三重実践塾生 地方公務員)
「あふれる真心と愛」
書家 金澤 泰子氏
金澤泰子氏(ダウン症の書道家 金澤翔子ちゃんの母親)の連載記事を読みました。「翔子が持つ一個多い染色体の正体」と題してあり、興味を引かれました。
翔子ちゃんは他人を羨んだり腹を立てたり、ましてや嫌いになることは絶対に無いそうです。そんな、私たちには想像も出来ないような不思議な優しさの正体が、普通の人より一個多い染色体の正体であることに気付いたというのです。ダウン症という生まれつきの症状が、障害ではなくむしろ必要なものであったと気付いたというのは、なんと嬉しく希望を分けてもらえる言葉であるかと感動しました。
私も我が子に障害があると伝えられた時、受け止められずに否定したり、そういう判断に対して腹を立てたりしました。その感情は、時が経っても気にしてない振りが上手になっただけで、あきらめというか根拠の無い楽観をしていただけで、心の奥底には言葉に出来ない不安や嘆きがあったと思います。そういう自分自身の気持ちに、いつの間にか蓋をしていたのだということに、そして親の自分が誰よりも差別をしていたことに気付かされました。
「生きてさえいれば絶望は無い」。これまで多くの苦労をされてきたであろう金澤泰子氏の経験から出たこの言葉は、大きな説得力をもって心に響き希望の火を灯してくれました。
(T.W 三重実践塾生 神官)
|