季刊 『道』 No.195 冬号 (2018年1月)

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1月 25日 季刊 『どう』 №195 冬号が発刊されました。


2018年1月25日、季刊「どう」№195冬号がどう出版より発刊されました。
冬号のテーマは≪信じる道を行く≫です。
巻頭対談はUK実践塾・宇城憲治塾長と刀匠・松田次泰氏との対談です。刀の「品格」の話、「できたやつにしか分からない」、「実際にできると、ひとがやっている所が全部見えるんですよ」。見えないところに真実がある。まさに、宇城塾長が常々おっしゃられる事と一致します。

体験こそが生き抜く力『未来をあきらめない』ということで登場された ジャーナリストで写真家の桃井和馬氏。「知らないことは無知という罪である」と、今我々が生き抜くために何が大事かという事を話されています。

その他、いつもの連載もしかり、今号の季刊「どう」もこの渾沌とした時代に光を見出す指針に溢れています。
是非一読されて自身の生き方を見つけていただけたらと思うばかりです。



どう出版ホームページ >>






日本刀の美と品格 -鎌倉刀再現への挑戦-
刀匠 松田次泰氏とUK実践塾 宇城憲治塾長の対談





※以下に季刊 『道』 №195 冬号を読まれた方の感想を掲載致します

 



松田 次泰 刀匠と宇城塾長との対談を読ませていただき感じた事は、日本の伝統文化である日本刀の途方もない奥深さと、そのレベルの高さ、またそのようなレベルの高い技術を極めることの難しさ、等々、色々な事を考えさせられました。

 私は恥ずかしながら、日本刀に関する関心や知識は皆無でありますが、そのような私でさえも、松田刀匠の分かりやすい説明から、非常に高いレベルの技術が求められることが少し理解できました。また記事を読むにつれ、私たちが取り組んでいる武術にも共通するものがあると感じました。ただ、そのあまりのレベルの高さやニーズなどから、現代の日本人には理解を得られにくく、万人受けされにくい部分も生じてくるのかと感じました。「伝統文化というのは食えない」と、記事の中で松田刀匠も語られていましたが、レベルが高いが故、理解が得られず、本当に良いものであっても、受け取る側のレベルにより本当に大切な事が伝わらないという難しさも感じました。

 また日本刀の世界においても、武術としての空手と同様、本来は世間に対して正しい…いわゆる「本物」であるものが普及する事が望ましいと私は思いますが、様々な利権や利害などにより、それが歪められてしまう事の怖さも感じました。本物を見極められる力を身につけていくと共に、正しい形でそれを後世に伝えていく…私は恥ずかしながら、そのための努力が全然足りていませんが、空手の稽古や仕事、また日常において、もっと真剣に取り組まなければならないと感じました。

(T.T 三重実践塾生 社会福祉士)



 松田次泰刀匠の対談を読ませて頂きました。
「平成8年にどういうわけかぽこっと鎌倉の刀が出来てしまった」一本の刀をつくるのに昭和61年から、一本、一本データーを取っておられた。これは材料を始め、製作工程を事細かに記録し、どうしたら鎌倉の刀を造る事が出来るのか挑戦してきた証しだと思います。
何度も何度も、工程は同じでも少しずつ条件を変えて工夫をされて刀を造って行く。昨日と今日で材料を変え、焼き入れの温度を変えさまざまな条件を少しずつ変えて、想像がつかない位の細かい条件を変えて毎日取り組んで行く。
そんな同じ事を何万回、いや何百万回やって来たけれど解らない。
そんな時、奥さんがちょっと間違ったことでその世界に入る事が出来た。
鎌倉の刀が完成した。
これは偶然ではないと思います。掘り下げて、掘り下げてやっている内にその近くまで来ることになり、数ミリ変化したことでたどり着くことが出来たのだと思います。奥様も刀匠のように途方もない体験をされて努力の上の努力が実を結んだ。
「意識の世界から脱却して、感覚、感性が揃うと偶然という奇跡と思われる事が現実に起こりうる」と宇城先生は言われました。
また松田刀匠は「大切なのは、その人がどれだけの事をやって来たか」と言われました。まさに物事に対する取り組み方を教えて頂きました。


(H.K 三重実践塾生 電装会社OB)



 刀匠松田次泰さんの記事を読んで、探究心を持ち続けることの大事さを学ばせてもらいました。空手の稽古も一緒で、ただ経験年数を重ねていくだけではいつになっても出来ないと思います。漫然とした稽古とならないよう日々研鑽していこうと思います。また、桃井和馬さんの記事を読んで実践に勝るものはないと感じました。


(K.S 三重実践塾生 消防士)



 今回は、鎌倉時代の日本刀を復活させた松田氏と、本来の日本武術を復活された宇城先生との対談に感銘いたしました。

日本刀というものが、日本文化を端的に表れしているものと思えてなりません。日本刀について、いままでの知識が間違っていた事を教えていただきました。熱した鉄を何度も折り曲げ、打ち鍛練したものが日本刀と思っていました。砂鉄と炭で作らたものこそが日本刀と呼べるものであり、生産過程が同じであっても日本刀と呼べないものが世界に出回り、居合刀に到っては中国・韓国産である事、又海外でも砂鉄と炭で作られれば、日本刀であるとは驚きでした。教えていただいた日本刀の事を通じて日本文化は、やはり海外文化とは違う特別なものである事を再認識いたしました。平安時代に誕生した日本刀、鎌倉から戦国・江戸時代と作り続けられた環境でありながら、製造過程が変わり劣化して行った事には驚きました。作り続けられた環境でありながらこの状態であるならば、文化・伝統が断ち切られた戦後の武術の劣化は創造に難くない状態にあると思われます。この状態に本来の武術のあるべき姿を復活された宇城先生と数百年何人もなしえなかった日本刀の製造を復活された松田氏との対談は感動でした。


(Y.F 三重実践塾生 証券会社社員)





体験こそが生き抜く力 未来をあきらめない
写真家・ジャーナリスト 桃井 和馬氏






 単なる物作りではなく、鎌倉刀再現という不可能を可能にした刀匠松田氏の果てしなき挑戦、覚悟、情熱から成し遂げる力が美しい日本刀になり、品格のある美術品に魅了されます。
わが道を貫く方々の心の強さを感じます。伝えたい気持ち、挑戦したい気持ちが大きいほど覚悟と情熱に人間力の大きさと魅力を感じます。
登場される人物はその人生又世の中に足跡を残していく人たちです。
その本を読むと凄いなと感心するだけでなく、その活動の手記を通して自分と対話している気がします。自分はどうなのかと自分に向き合い勉強と反省が広がっていきます。

その中で写真家でありジャーナリストの桃井和馬氏の手記は世界を渡り歩いた知識だけでない身体を張った実践経験は、狭い世界しか知らない私と数段かけ離れた次元の違った経験をされている事に羨望のまなざしで、読ませて頂きました。その中で世界情勢に我々は関与している事もなく、知らなくても何の影響もないと思っていたけれど、桃井氏が学生に「知らない」というのは罪だぞ、と。それは無知という罪。無知、無関心は罪だと言っている。その言葉に心にグッと引っ掛かりました
登場された人物は自分には行けない世界の数々ですが、本を通してその世界に導かれ体験したかのように味わさせて頂いた気がします。
勝手に貴重な体験をした気になりながら拝読させて頂いた事に感謝いたします。これからも楽しみしています。

(T.Y 三重実践塾生 土地家屋調査士)





「ありのままの私たち」
作家 山元 加津子氏






 人に与えること。相手に対しての思いやり。愛。
「道」に出てこられる方は、捧げる愛の気持ちが強い方々ばかりです。
どのような方に対しても、好みを入れずに無条件な愛が持つことが出来たら、素晴らしいなと思いました。山元加津子さんの文章に、マザーテレサの事が書かれていますが、無条件な愛を強く持てた人だったのだろうと思います。
全ての人に、包み込むような無条件な愛で接することが出来れば、自分も相手も幸せになれるのではないかなと思います。

(Y.S 三重実践塾生 彫刻家)


以下にロングインタビュー・連載の紹介が続きます








「大好きな子どもたちの声を届けたい 先生はあなたの愛の力を届けるよ」
小学校教師 香葉村 真由美氏




「地球を歩く」
写真家 野村 哲也氏




「私たちは銀河のなかに生きている」
銀河浴写真家 佐々木 隆氏




「ミツバチが教えてくれること」
一般社団法人ハニーファーム代表 舟橋 康貴氏


 

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